天地真理の最後の紅白の後で 私も少し輝きました [音楽]
昭和49年大晦日の天地真理最後の紅白です。「思い出のセレナーデ」です。
(写真は他からお借りしました)

結果的に最後の紅白になりましたが、まだまだこの頃は天地真理は輝いていました。

こじつけですが、
この紅白から年が明けて昭和50年の1月初旬に私もちょっとだけ輝きました。
下は大学のギター部の演奏会に出演した私の22歳の時の実際の写真です。
NHKホールからさほど遠くない公会堂で行いました。演奏はかなりつまづき
転んでしまいましたが.....。(^^;

私は協奏曲をやる最後のチャンスだと思い、大学のオケ部で指揮をしていた音大生に
お願いして音大生で弦楽四重奏を組んでもらって、ヴィヴァルディの「リュートのための
ニ長調のコンチェルト」を演奏しました。ジークフリート・ベーレントとイ・ムジチの
レコードをお手本にしました。
ちなみに、この音大生の方は後にヨーロッパの有名指揮者のコンクールで優勝されて、
現在も国内のオーケストラの指揮者をされています。写真でヴィオラを弾いている方です。

ヴィヴァルディの前に、セゴビア編曲のバッハのイ短調のアルマンド、サラバンド、
ジークを弾きました。

今、録音を聴き返してみて、素人の大学生としては意欲的なプログラムですが、
人前で弾くのは「10年早い」と恥じ入っております。(^^;

天地真理と私は同じ時代を共有し、共に青春を音楽とともに駆け抜けて行ったのでした。
そろそろ家内に「馬鹿みたい」と言われそうです。(^^;
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